ペシャワール会の「緑の大地計画」

今日は穏やかでしたが、昨日の突風、強風は、ゴルフ場で「もったいないピースエコショップ」を出店するには勇気とささやかな対策が必要でした。きゃしゃなテーブルは突風が吹くと飛ばされそうなのでレンガをテーブルに置いて重石にし、全ての品目の値札には小さい洗濯バサミで対応。風に負けずに出た甲斐もありました。最後のお客さんは、このショップの趣旨に賛同してくださったのか、こんにゃくをたくさん購入してくれた上にお釣りは寄付にと置いていってくれました。

私たちをこんな天気でもゴルフ場に向かわせてくれるのは、私たちが支援の主軸を置いているペシャワール会の中村哲医師を核に取り組んでいる活動が、まさに現在の世界情勢の絶望的な危うさに対して、世界平和への路を具現的に体現して示していて、この地に足がついた救済策を一人でも多くの人に知ってほしいからです。

2003年に始まったペシャワール会の「緑の大地計画」は命の源である水と食料がえられる安定灌漑面積を一万五千ヘクタール近くまで実現しました。下の写真は、その計画のもと用水路建設などに従事してきた難民の人たちが、今後もたくさんある用水路の維持補修に当たっていくために、厳しい条件の砂漠の中に作られた自立定着村です。最初の写真は、用水路建設前の砂漠で、後の写真は同じ場所の用水路到達6年後です。比較してみると、人間愛や知恵の偉大さがわかりますね。


それぞれの意義

昨日は、ウチの農場の悪臭のないEM鶏糞をお気に入りのお客さんがたくさん注文してくれたり、ゴルフ場でもいいお客さんに出会えたりして、もったいないピースエコショップの売上は好調。その上、前からやろうと思っていた白菜漬けもたくさんでき、これも前から思っていた片付けもある程度でき、何もかもが小春日和のようなお天気のおかげのような気がしました。

とにかく自分が意義があると思ってやれることがあるのが一番ありがたいです。話は飛びますが、あの清原選手が、子供達に野球の面白さを教えたりして子供達に愛される悦びを知っていたら、彼にも全然違った世界が開けていたでしょうにと気の毒でなりません。人生は、自分で自分が好きになれるような路を探す旅でもあると思います。

その点、私たちの会は、それぞれが意義を感じて入会してくれ、対等に自分の自由意志で動いてくれ、この心地よい空間を創り上げてきました。

私の好きな賢治の言葉「人は整理することから二倍の力を得る」のように、農場の現況を整理することから生まれる知恵や構想力を活用し、さらに充実した空間をみんなで創っていくことを願ってやみません。

今日の写真は、米のとぎ汁EM発酵液の下に沈殿した糠分を水で薄めて散水して育てた小松菜です。大きい小松菜を抜いてから、後であわてて撮ったので、おチビちゃんばかりですが、元気で緑が濃いでしょ。


整理と活用

30年前にこの自生農場を拓いた時、農場の主が自分で建てた鶏舎の運動場に沿って、自生していた雑木の苗を植えておいたのが大木になり、昨日、今日はその大木の処理、整理についやされました。もったいないピースエコショップを、丁寧に作ってくれた大工さんが、仕事の合間を縫ってきてくださいました。大きくなりすぎてしまったので、うまくやらないと鶏舎の屋根を壊しかねません。夫と二人で知恵を出し合って、二日で懸案の伐採を大体かたずけてしまいました。

そして、三人でその切り株に座ってお茶をやりながら、今度はその切った木の活用に話が弾みました。大工さんが、知恵袋の大きいかたなので、切った木のなら、クヌギ、栗などは、しいたけや他のキノコの原木になるということで、その他にも色々珍しいことを教えてくれました。

このように、どんなものでも整理して、活用する知恵があれば、この世は今よりも問題がなくなり、清々しい風が吹きわたるだろうにと思わされました。

手前味噌ですが、もったいないピースエコショップも整理と活用の賜物だと思うのですが。一人一人が自分の周りから、この整理と活用に動き出せば現代文明の大量生産、大量消費、大量廃棄の流れに竿をさすことになるのではないでしょうか。整理と活用を日々の暮らしに採り入れると楽しいですよ。

魂が顔を出す方法

交流行事の四日後に、坂東市の小学校で五年生の家庭科の授業にお話を頼まれていました。これから一人一人長い人生が待っている子供さん達に、本当に生まれてきてよかったと思える人生を歩んでもらいたく、私が選んだのは、「三つ子の魂百まで」と「時は金なり」ではなく自己流の「時は命なり」という二つの諺でした。私の方から三つ子の意味を尋ねたところ、双児に続く三つ子と答えたのには笑ってしまいました。諺の意味を説明し、私にこの諺の深い意味を教えてくれたのは、宮沢賢治でしたと言い、この天とつながっている魂は誰も持っていて、それを大事にして生きていくということは、自分に与えられた時間を命いっぱい燃やして生きることだと伝えました。でも魂は見えないよねというとみんなうなづきました。そこで私は、自分の魂が顔を出す方法を自分なりに探して見つけましたと言うと、聞き耳を立ててくれたので、「それは、社会と自然の両方につながっている道路のゴミ拾いでした」と伝えました。ゴミを拾っていると、自分の中のゴミも拾えて自分の魂が顔を出し、その通りに動いていたらたくさんのものが生まれましたと言って、それを紹介しようとしたら途中で時間がきてしまいました。最後に皆さんには、まだ時間がたくさんあるので、自分の魂と向き合って生きていって欲しいとしめくくったつもりでしたが・・・。

反省としては、ゴミ拾いから生まれたというたくさんのものから一つに絞るべきでした。なぜなら、お米を炊くという体験授業とつなげて、お話を頼まれたので、お米のとぎ汁が環境を汚し悪臭の原因となるので、微生物と合わせて発酵液にすれば、汚染源から浄化源に変わるので実践しようよと。

今回私の方がいい勉強をさせてもらいました。

ショップ2号店決定!

今年の交流行事は、長年自分の内面にかかっていた霧が晴れて、復活できた自分になってから迎えられて、本当にありがたかったです。それは、私にとって天と地ほどの違いでしたから。

自分でも驚きだったのは、子供の頃から自分は一生続くと思っていた後悔や自己嫌悪や自己否定のあの辛い感情がなくなってくれたことでした。この感情にさいなまされなければ人生はどんなに救われるかしれません。

そのような状態で、幼馴染さんと50数年ぶりに再会できたのは本当に幸いでした。その幸いがまた幸いを連れてきてくれました。私が会の最終目標と位置付けて持ってしまった夢。それはもったいないピースエコショップと同じ名称と仕組みをもったショップを全国各地に広げ、草の根で具体的に世界平和を発信していく運動です。それを、この幼馴染の一人が、千葉の自分たちの故郷でやってくれることになったのです。もちろん場所も時間も売上金も全く縛りはなく自由です。そういう点が生まれていくことが大切なのです。この点が増えていけば、そこに元気や安心や希望や絆が生まれます。

私は自分が生きている間に二号店が生まれたら、手作りの看板と私の作った拙い歌「もったいないは二つのエコ」「曲がりなりにも」「家族」「年を取らない玉手箱」「どこからともなく」などを入れたCDを贈らせて頂こうと思っていました。それに向かって行動開始です。でも何事もゆっくりした気持ちでやることを学びましたので、長い目でお付き合いください。

一月十七日の交流行事

一月十七日の会の交流行事から、はや五日が経ってしまいました。その日の写真をこの農場の主がとっておかなかったので、写真がないのは寂しいのでついつい今日になってしまいました。

当日は、お天気も微笑んでくれ、その上、私の小中時代の幼馴染友達が8人も千葉の富津からはるばる来てくれました。なんと50数年ぶりのご対面でした。みなお互いに年を重ね、いいおばあちゃんになっていましたが、昔の面影をとどめており、思い出に刻まれた一日になりました。

参加者も50人を超え、手つきのお餅は相変わらず美味しく、鰹節とお醤油をまぶしたもち米のおにぎりも毎年好評でした。肉の燻製もけんちん汁もきれいにみんなのお腹におさまりました。

幼馴染さんたちは、私の母を知っていたので、存命中の母が交流行事の時みんなに振舞ってくれ「おばあちゃんコロッケ」と呼ばれていた地元のコロッケを復活させ、おばあちゃんをしのんでもらいました。

竹で作ったマイカップで飲むびわ茶の味は、格別です。今年のマイカップは、新しいアイデアを取り入れ、とても飲みやすくこれも好評でした。いろいろの方達が、適材適所で動いてくれ、そのいい例が、この日に毎年大きなびわの木の下でやるもったいないピースエコショップです。三人の女性会員さんが請け負ってくれ、その日だけはすっかり私は彼女達にお任せです。その上、売上も多く、ありがたい一日でもありました。


交流行事の準備

会の20回新春交流行事が後一週間になりました。毎年この一日の為に、地元の数人の会員さんが色々下準備をしてくれ、縁の下の力持ちになってくれます。最初は、コップや箸の材料の竹を、竹林から切り出す作業です。二回目は、その竹を小口に切って箸やコップの大体の形を作る作業です。三回目は当日の燻製の為のお肉の下準備です。そして、行事の前日は、餅つきの為のお米を洗って水に浸したり、けんちん汁の下ごしらえ、全体の準備などです。

今年は、いつもお天気に恵まれ、お昼も外でほっかりと。


可愛い孫たち

去年の暮れから里帰りしていた石川組とアメリカ組がまたそれぞれのところに戻って行きました。私が、みんなのお陰で元気が復活したことで、孫たちの可愛さを十分満喫させてもらいました。娘もそれぞれ自分の得意分野を発揮して、自分たちが帰った後私たちが暮らしやすくしていってくれました。ありがたいことです。でも途端に静かになり、あちこちに孫たちの残影が見えます。

三人の娘たちは自由に生き自分の納得のいく生き方を見つけ、自分に合った配偶者と仲の良い家庭を築いてくれ子供達も幸せ、私たちも安心です。娘が小さい頃から一緒に暮らした母も、天国で喜んでいることでしょう。

今日から又、ゴルフ場通いが始まります。今日もいいお客さんに恵まれ、びわ茶を用意して風邪を押してきた甲斐がありました。今度は、一月十七日の会の交流行事が待っています。

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ショップ開始

今日からミッションである「もったいないピースエコショップ」始まりです。採ってもいいというお許しをいただいているので、娘と4歳の孫と法蓮草をとりに行きました。青々とした法蓮草が一面にあり、収穫しないとのこと、本当にもったいないことです。寒さの中で頑張っている法蓮草は、とても甘く美味しいのです。孫も一生懸命にお手伝いして、穏やかな日差しの中で新鮮な法蓮草を気持ちよく収穫して帰って来ました。パリパリな法蓮草はゴルフ場でもお客さんに喜ばれました。

又、お客さんの中に、会のホームページを見て、私の歌も聞いてくれて、自分にできることがあったら協力するよといってくれた方がいて、今年はお正月から縁起が良さそうです。

元旦

やはり一年の終わりの日、大晦日はたちまちのうちに過ぎてしまい、これに向かうことはできませんでした。ゴメンなさい。今日は、晴れて元旦。元旦の初仕事は、石鹸の仕上げでした。これを仕上げて、221回目になります。EM活性液、培養液を百倍利器で作り始めてから、前者は284回、後者は264回です。

活性液は、米のとぎ汁流さない運動モニター制度と一般の購入者のため、培養液は川の浄化活動に使われます。この三者は、全て水の浄化が目的です。地球は、水の惑星と言われ、水ありてこそ地球は生き物が生存し得るのですから、命の源と思い毎日心して、水と向き合って欲しいと願っています。水、空気、土という基本的なものが、どうでもいいもので汚されていく現代、一人一人が自分の生活実践で守り、仲間を増やして面で広げていくしかありません。

幸いなことに、液体石鹸も長くやってきた甲斐がありました。早速今日も注文があり、遠くから又来てくれるとのことでした。

下の写真は、お正月をこの農場で過ごしている孫たちです。自然の落ち葉を山にしたり、駆け回ったり、昔の子供のように自然児に育っているのが嬉しいです。

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この一年は、思い出に深く刻まれるであろう時間の帯でした。40年以上一緒に暮らして、会も支援してくれた母との別れ、会の最終目標ができてもなかなか進展せず、努力が報われない日々。それまで二十年以上元気でいた自分が、嘘の様に元気の湧かない日々。この堂々巡りの暗いトンネルから抜け出ることができるとは思えない日々。

ある人との出会いから、そのトンネルを自力で抜け出ることができました。その上、自分に欠けていた大事なものを気づかせてもらったおかげで、全てが明るくなりました。それは、愛です。愛の対象は、全て。地球、人類、家族、同胞、命あるもの、自然、ふるさとなどなど。一人一人が、それに目覚めて動き出せば世の中は、明るく生きやすくなるでしょう。

この続きは、また明日。

忘年会

年一回の忘年会も、ほとんどやらないできてしまった四季の会。今年はやりましょうという機運になり、それも最も近くて、何時もお世話になっているゴルフ場さんでということになり、午前中の活動を済ませた後、歩いて昼食を兼ねて。コンペルームに案内され、和やかなひと時をすごすことができました。毎日地道に主婦をやっている人たちばかりなので、ゆっくりと贅沢な気分を満喫でき、お料理も美味しく、一年のいい締めくくりとなりました。

その時の会話の中で、安倍政権が打ち出した「一億総活躍社会」についての批判があり、それはそれで最もなんですが、全く視点を変えて、私たちがやろうとしている「もったいないピースエコショップ」を全国に広げる事業が例えば実現すれば、それをやろうとしている人たちは自分たちの意志で主体的に動いているわけなので、「活躍」という枠の中に入ると思うのですが。

今、「一億総活躍社会」を調べてみたのですが、内容としては、政府が助成をして社会保障や少子高齢化を反対の方向へもって行こうとしているだけであって、主体性をもって生きようとしている「活躍」という核の部分が欠けていると感じました。むしろ、私たちが目指している事業を国が認めて広げることに協力してくれれば、もったいない世代が自分の知恵や技術を活かして、豊かな人間関係や社会貢献に生きがいを感じ、認知症や病気にならず人生を全うできる人がふえ、それこそが社会保障や高齢化の問題への正しい答えだと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
この担当大臣は、あともう二つの大臣を兼任しているとありました。真面目な話、この大臣に上記のことを提案してみる価値はあるでしょうか。もしとりあげてくれるようならば、見直す人も増えると思うのですが。

これからの時代とは

毎日、朝起きて夜床につくまで、やることがあるのはありがたいことです。楽しくやれれば、仕事も全てレジャーのようなものです。とにかく、有るものを活用しないともったいないので、次から次にやることが出てきます。それをうまく組み合わせて、流れていく生活のリズムが私は好きです。質素で慎ましく生活していれば、お金はかかりませんし、生活の知恵で全てがうまく循環していれば、自分の心身もうまく循環していて、快適です。

これからどんな時代が待っているか、文明が行くところまで行って、後はマイナス面だけが残されているような昨今、人類全体の運命はこれいかにと想わせられるような状況です。「目には目を 歯には歯を」という報復の思想が、いま世界を駆け巡っています。ここからは、憎しみが増幅されるだけで、何も光が見いだされません。

私たちの会が十数年間支援の主軸を置いている「ペシャワール会」の代表、中村哲さんはそれと対極にある世界を二十数年間かけて構築し、世界平和のあるべき姿を具現化して私たちに示してくれています。

私たちの会も、もったいないピースエコショップ事業を通して、ペシャワール会につながっていることで、世界平和に関与でき、元気、安心、希望、張り合い、連帯感など目に見えない栄養素を頂いています。もしこれがなかったら、生活に中心や緊張感がなく、認知症などにつけこまれていたかもしれません。

もったいない物を販売して、その収益金を本当に必要としている所で役立ててもらうという仕組みともったいないピースエコショップという名称を共有して、それぞれの地で数人のお仲間でやってみたいという人たちが、この日本で必ずおられることを信じています。

生きている実感

又々長らくお休みをしてしまいました。今回も、便りのないのはいい便りでした。最近、以前の自分より、生きている日々がなぜか楽しいです。何をしていても、甲乙がなく、楽しいと思えるのです。やることをきちんと組み立て、ゆっくりした気持ちで、一つ一つのことに取り組むというそれだけのことで、以前も同じことをしていたのですが、時々は億劫になったり、落ち込んだりしていました。それが、平らになって、何よりもありがたいのは、子供の頃からあった自己嫌悪や自己否定的な気持ちが湧かなくなって、自分の失敗も笑って済ませられるようになったことで自分が好きになったことです。

ゴルフ場でのショップも、この頃はほとんど休まず、屋根もあるので、雨にも負けずです。お客さんとの交流も楽しく、先日は、私たちの農場がかなり広いことを知ったお客さんが、仕事を辞めたら農場で小さい家を建てさせてもらってそこで死ぬまで暮らしたいとかなり本気で言われ、後で農場を訪ねて行きますと言われたのには、夫とこれからの時代、そういう選択もあり得るかもねと話しました。

もう期待しないでただ自分の考えていることを、ダメで元々というスタンスで、トライするだけというこの頃の日々は、生きている実感をもてて「時は命なり」と思っている自分には最適な日々でもあります。

歌 半学

昨日に続いて、昔の沖縄の言葉「歌 半学」には、貧しい中でも明るく生命力をもった生き方を身につけた国民性が反映されていると感じます。

一方、「もったいない精神」は、日本人の国民性の大切な一つではないでしょうか。今の時代、この精神を次世代に伝えておくことは、これからの日本の将来を考えた時、最も優先すべきことではないでしょうか。

ゴミ関心部会「四季の会」は、米のとぎ汁、生ゴミ、廃油という廃棄物も、活用次第で立派なもったいない資源であることを実践を通して次世代に伝える「もったいない教育」を目標に、学習、活動しています。

そして、その中で「歌 半学」も採り入れて、私の拙い歌「もったいないは 二つのエコ」を通して、より多くの次世代に伝えていければと願っています。そこで楽器を奏でながらそれを歌ってくれる人を探しています。個人でもコーラスグループでもどちらでも。謝礼はスズメの涙ほどですが。楽譜を下に載せられればいいのですが、もしそれができない場合は、ゴメンなさい。実際に自生農場をたづねてきてください。楽譜をお渡しします。ご自分でなくても、お知り合いに適当な人がおられたら紹介してください。お待ちしております。この歌は、もったいないピースエコショップをやってくださる人が現れた時には、そこにも贈りたいのでよろしくお願いいたします。

歌の持つ力

会員さんの中に沖縄出身の方がいて、昔の沖縄で言われていた言葉を教えていただき、私も同じように思っていたので、ちょっと感動しました。それが「歌 半学」という言葉。昔の沖縄は貧しく、学校へ行けない子供もいたので、生活の中で歌を通して自然に学ぶ力を育んでいく、今でいう総合学習的な意味合いが深かったのだと思います。EMの開発者、比嘉照夫先生も、机上の知識からではなく、子供の頃から叩き込まれた実生活での農業体験があったればこそ、最終的にEMに行き着いたのではないでしょうか。

私も歌の持つ力というものを信じています。歌は、自然に体の中に浸透し、楽しさや情緒の面で影響を与えてくれます。私は長女を出産し母になった時、感動の余り自然と歌が湧いてきました。それ以後何かの節節に、又賢治を生きるようになって、その結論として、歌が生まれるようになったので、歌の分野としてはメッセージソングとでもいいましょうか。たった一回しかない自分の人生とか、生き方とかに関心のある方に聞いていただければ、うれしいです。四冊目の自著は、そのような歌を十数曲入れたCD本です。そのうちの5曲は、トップページで聞くことができます。

もったいないの知恵

今日は、四季の会の活動日。先週に続いて、今週もEM生ゴミボカシを、日当たりのいいテーブルで、ピーチクパーチクおしゃべりしながら作りました。ぬかと籾殻とEM活性液をまぜまぜしていると、手がツヤが出て手美人になった気分。手美人なんて言葉ないかな。

そしてこの作業の前に、里芋の一種の八つ頭の茎をたくさん頂いたので、その茎の皮むきをしました。これをこの辺では芋がらといい、天日で干して、切り干し大根のように水に戻して煮て食べるととても美味しいのです。昔の人が、もったいないの知恵で生きてきた生命力には感心します。こういう生き方を、これから厳しい未来が待ち受けている次世代に伝えていくことは、私たちの世代の使命のように思います。

EMボカシ作りも芋がら作りも、どちらも手が多いとたちまちできてしまい、その上楽しいので、みんなでやるということは、素晴らしいことです。今日は、珍しく写真を撮りましたので、明日は雨でしょう。

完全循環型の生活

「便りのないのはいい便り」と昔から言いますが、久しぶりにこれに向かっているのは、元気でやる事が多かったからとでも申しましょうか。実は、ある方との運命的な出会いで、以前の元気な自分に戻っただけでなく、毎日どんな事でも楽しんでやれる新しい自分に出会えました。

食事の支度をするのも、ゴルフ場でのお店の準備をするのも、いかに有るものを大事に活用して、食べる人、買ってくださる人に悦んでもらえるかを考えながら動いているのは楽しいものです。お客さんとの会話も弾み、その上買っていただき、支援もでき、もったいない物は、最終的には我が農場の鶏さんが悦んで頂いてくれます。生ゴミは、光合成細菌やEMボカシで大地に還元し、米のとぎ汁は、EM発酵液にして生活改善や排水浄化に役立て、廃油を活用した安全なEM液体石鹸で食器洗いも洗濯も洗髪も。完全循環型の生活は、体を動かさざるをえないので健康でいられてありがたいです。

お手本にしたい方々

今日は、私にとって、人生のお手本ともいうべき四人の方を紹介します。お二人は、90歳前後で、お友達同士。一人は、私たちの会が作った「猿島野まるごと博物館」のそば名人さん。お蕎麦以外にも、揚げもちや飴まで手作りしてしまい、それがまた美味しい!。校長先生の娘さんとも大の仲良しで、お二人とも私たちの会の会員さんです。

もう一人のおばあちゃんは、「米のとぎ汁流さない運動」のモニターさんのお家です。この方も、生涯現役。いつも畑でお見かけします。感心するのは、お嫁さんとの関係の素晴らしさ。本音でありながら、両方が優しいのでいい関係が持続されている。そして、お二人とも「もったいないピースエコショップ」に新鮮なお野菜を無料提供してくれるありがたい存在でもあります。

あとのお二人も、90歳に近い80歳代です。お二人の共通点は、茶道をたしなんでおられるところでしょうか。なんとなくお二人から、茶道の本質が実生活に活かされている、そんな気がします。お二人とも、時間を組み立て規則正しく生活しているご様子が、綺麗に片付いた庭園や周囲の佇まいから汲み取れるからでしょうか。お二人とも、まだ農作業が生活の一部で、もちろん私たちの会の会員さんでもあり、「米のとぎ汁流さない運動」のモニターさんでもあり、実践してくださっています。

その一人の方は、毎年丹精して作った見事なゴマを沢山、「もったいないピースエコショップ」にと持ってきてくださり、ゴマを作ったこともない私としては、有難く恐縮してしまいます。いつぞやその彼が、毎月写経をした後に書く願いは「世界平和と環境が良くなること」を別の表現でおっしゃられました。でも内容としては、会の願いと同じなので嬉しかったのを記憶しています。

もう一人の方も、家族の食事の支度をまだ受け持っている現役。農場に来られる時、手作りのお菓子を持ってきて下さいます。その彼女がご自分の生活の指針にしておられるのでしょうか。「人にやさしく、自分に厳しく」と言ったさりげない一言は、その後の自分の中に深く浸透し、指針にできたらいいなあと思う昨今です。

このようなお手本にしたい方々とお知り合いになれたのも、宮沢賢治的世界観に沿って生まれた会の活動を通してです。「三つ子の魂百まで」は、この四人の方にも当てはまるし、賢治の世界観にも当てはまります。魂を前面に出して生きることを大切にしましょう。

大同団結

この二日ほど、予報は雨のはずでしたが、賢治の「雨にも負けず」ではありませんが、結局ゴルフ場に行ってました。今日は、そこへ最近、入会してくれた若いお母さんが赤ちゃんと一緒に寄ってくれて、いいお話がたくさんできました。昨日の夕方も、やはり若い会員さんが卵を買いがてら寄ってくれ、密度の濃い話ができ、将来をしっかり見つめている人たちと会を通してご縁ができ、嬉しい限りです。

私は最近こんな風に感じています。賢治は人間を因果交流電燈の一つの青い照明であり、仮定された有機交流電燈の一つの青い照明であると定義づけています。前者の因果ゆえに人は皆「大同小異」であり、後者の仮定された有機ゆえに、仮定された形の中にみな魂という命を宿しているとするならば、お互いを許容しあって大同団結して世の中を良い方向へ持っていかなければ、世界は大きく変わらないと。

私たちの会は、宮沢賢治の世界観に則って活動してきたので、ここまでこれたし、様々な素晴らしい存在とつながれたとありがたく思っています。