心配してるよ 家族 
愛しているよ 家族 
元気でいろよ 家族 
それだけさ 
遥かに いても 
間近に いても 
思えば 想えば 
そこに 家族

腹から うまれた家族 
土から うまれた家族 
神から うまれた家族 
みな  家族 
遥かに いても 
間近に いても 
思えば 想えば 
そこに 家族

 

人口問題、地球温暖化、民族紛争、宗教戦争、難民問題、核の脅威、環境の悪化等など、難問題を山積して、二十一世紀は始まった。人類所産の科学文明の探求は、遺伝子というミクロの世界から、宇宙というマクロの世界にまで及び、とどまる所を知らない。他方、経済至上主義が罷(まか)り通る中、家族の崩壊、教育の荒廃、情報の氾濫の中で、人は立ち往生している。これらの閉塞状況を打開する路を、一人一人が模索し、どうしても起死回生をはからなければならない時代ではないだろうか。

ご多分にもれず、私も生き詰まり、幸いにも宮澤賢治の中に究極の真理を見い出し、一歩を踏み出す事が出来た。その中から「家族 」の歌もうまれた。家族をこのように巨視的に捕らえる事で、家族の関係も確固たるものになり、私も生まれ変わったように元気になった。今、私は、家族とはオリンピックの五輪のようだと思っている。重なっている最も濃い部分が魂である。我が家の三人娘も、そこを拠り所に外国で自由に自分の円を描いている。

所詮、現象である人間は、死んで大地、大気に還元され、宇宙に戻っていく。残るは、魂から発現された生き方だけである。人類がいくら科学万能を振りかざし、登りつめても、悠久なる宇宙の一作品にすぎないという地位は変わらない。それ故、人間を含む森羅万象を生み出した宇宙の造物主を、親と考えれば、私達人類は、みな宇宙っ子である。同胞である。この認識に立てば、人類は争わず、共生していける。

ユニセフエコショップとEMが、そうした賢治を生きていく延長線上で私を待っていた。労働の意義や張り合いを求めていた私は、夫の農場から出る余剰農産物を売って、その収益金の全てを、最も必要と直感したユニセフに送りつづけようと思いついた。

平成六年八月三十一日(ヤサイの日)に、夫の手作りのテーブル一台の無人の店から産声をあげたユニセフエコショップも、今は形態を変え、売っている品目を告げる木札が木柵にかけてある。

製品外の卵、鶏糞、私の本、野菜、漬物、手作りの卵油と次第に品目がふえ、遂にEMに出会う。EMとは、地球環境を崩壊から蘇生の体系に変えながら、同時に安全で多収穫な食の生産を可能にする有用微生物群のことである。 EMの開発者、琉球大学の比嘉照夫教授は、農は国の基なるぞの信念で、EMを人類共有の財産と位置付け、政治的イデオロギーや宗教を越えて、草の根的に生活者が地球環境に関わっていく事を提唱、実践している。

彼の科学者としてのこの姿勢こそが、科学文明と人類の存続を結びつけ、二十一世紀の屋台骨を支える新しい哲学的理念になり得ると私は信じる。

ユニセフエコショップとEMの普及に共鳴する人、この指止まれ。