瞳 凝らしてごらん、 瞳 凝らしてごらん 
挫折の中から 孤独の中から 
どこからともなく 見えてくるよ 
奥深く 奥深く 隠れしものが 
それを 形にするは 自分 
それを 力にするは 人間

 

耳を澄ましてごらん 耳を澄ましてごらん 
寒さの中から 嵐の中から 
どこからともなく きこえてくるよ 
埋もれし 埋もれし かそけき声が 
それを 形にするは 自分 
それを 光にするは 人間

 

宮澤賢治の真骨頂は、法華経である。彼がこれまでの作家とは全く特異の巨然たる星であるのは、法華経を普遍的な芸術に昇華し創りあげた事と、生涯を通し自分の身を賭して法華経を咀嚼し実践した事が、表裏一体をなしているからだと私は思う。彼の不器用だがひたむきな生き様に裏打ちされた作品の中に、彼の無垢で崇高な魂が光る。まさにそれが法華経なのである。

仏陀はあの大昔、宇宙という存在(今では当たり前の概念だが)に気付き、かつその宇宙の虚空界と人間の内奥にある魂の虚空界とが同一であることに気付いた時、始めて悟りを開いたと伝えられている。宇宙の虚空界とは宇宙的な広がりをもった根源的な命を意味し、人間一人一人の命が魂を媒介に、この根源的な命と結ばれている事から人間は永遠の命に生かされていると、仏陀は説く。

 「子供は大人の父である」私が大学で頭に刻まれた唯一の (英国の田園詩人、ワーズワースの)言葉である。この逆説的な意味が、私には長い間不可解だった。賢治を知って謎が解けた。キーワードは魂だったのである。心はコロコロ変わるからココロとか。魂は心と全く位相が違い、もっと深部に宿り安置してあるもの。人は長じるにつれて、その魂は曇り、錆び埋もれやすくなる。それを掘り起こし、真中に据え直し、向かい合うは自分自身の役目。

ユニセフ大使、黒柳徹子さんが難民キャンプを訪れた際、死の床にある少年が、彼を見舞った彼女に対し、苦しい息の下からあべこべに「神の祝福があなたにありますように」と言ったという。

今、世界は紛争が絶えない。その中でも宗教的争いが顕著である。人間を本来救うべき宗教がである。賢治は自分の理想郷をイワン王国にたとえた。これはトルストイの「イワンの馬鹿」からきている。皆から馬鹿と言われていたイワンが、さまざまな悪魔の仕掛ける難関を、彼独自の方法や価値観で解決してゆく。そして王となった後も、以前と変わらず勤勉で、民と共に平和な国を築いて行く。その国はみな平等で助け合い、自給自足、完全自決型社会で、貨幣経済を必要としない。ここには神への敬虔な信仰心はあっても、特定の宗教は存在しないし、王は富や権力の象徴ではない。賢治は、イワンのように、誰でもが無私無欲、働いて自分の糧を得、誰をも受け入れ、争わず、全体や未来の平和、幸を考え行動する魂さえあれば、理想郷は世界のどこでも可能であると示唆する。

彼の言葉に「自我の意識は個人から集団、社会、宇宙と次第に進化する」とあるが、人が小さな自我を捨てて、大きな自我を拾う時、人は始めて真の自由を得るのだと思う。