宮澤賢治を生きる
生きてる実感がほしくて
裸足で歩く
忘れてた大地
肌にやさしい木漏れ日
その小道のどこかが
遠い時のしじまを 越えて
あの人と出くわした
あの恥じらい、ときめき
思い出す
大きな声で
友と共に笑った
自由を糧に
果てしなき夢追いかけた
誰もがみな 胸の一隅に
自分だけの小道
続いている
それを見つめ それを辿ろう
生きてる実感を 求めて
生きてる実感がほしくて
焚き火する
めくるめく炎
肌を焦がす熱気
その煙のにおいで
遠い時のしじまを 越えて
母さんがかぶっていた
あのすすけた手ぬぐい
目に浮かぶ
ちっちゃな足で
風になって走った
捨て犬抱いて
雨上がりの虹にみとれた
誰もがみな 胸の一隅に
自分だけの小部屋
しまってある
それを開けて 風を入れよう
生きてる実感を 求めて
現代ほど生きてる実感が希薄な時代はないと感ずるのは、私だけだろうか。
利便性、快適を追求する所産の物質文明、科学文明、又情報の即時性、膨大な量に私達の神経は絶えずさらされ、 いつの間にか感覚が麻痺し、萎えていく。全て間接的な機器やボタンに包囲され、守られた「豊かなる生活」の中で、反比例的に私達の幸福感、生きがい感はうすれ、私達は文明病のえじきとなっていく。この現象は魂の喪失がもたらした結末に他ならない。
私は賢治を起点に再生を期した時、これからは自分の魂が悦ぶことを体現していこうと決めた。それが私には道端のごみ拾いであった。独りのごみ拾いは三年目に共鳴者が現れ、「四季の会」というグループに発展。又、ごみ拾いから半年後に、私達の農場がゴルフ場の建設予定地に入ってしまい、私達は 「正しく強く生きるとは、銀河系を自らの中に意識してそれに応じることである」という賢治の言葉を支えに、反対を表明。署名集めや県内初の立ち木トラスト運動等の展開を通し、「猿島野の大地を考える会」が発足。
又遡ること平成元年、町の郷土館建設準備委員として、その基本理念作成に関わった私は、エコ ・ミュージアムの存在を知って、町全体を博物館にする事を強く主張した。その後「町まるごと博物館を推進する会」を作って、署名集め、要望書や基本構想の提出等の働きかけを通し、その実現に心を砕いた。そして町まるごと博物館マップを作り、会で全ての場所や人から承認をもらい、手作りの立て札を建てて回りついに公認の存在となるに至った。今ではこのマップでの町めぐりは、炭焼きと共に、猿島野の大地を考える会での年中行事の一つとなって定着。その博物館の核となっているのが「私の宮澤賢治かん」。私がごみ拾いで見つけた廃材を活用して、夫が三年がかりで建てた館である。館内にはごみの山から掘り出したり、頂いた古い生活用具が並び、アナウンスでは私の歌が流れる。
このように、個の尊厳を持ち、銀河的視野に立って、本音で生きることを勧める賢治哲学を実践してきた歳月は、 全てが有機的につながり、広がり、重なり合うことを私に教え、日々私は春のように平安でいて、生きている実感に充ちている。
魂に沿って生き直すことは誰でも可能であると私は確信している 。